シリコンバレーの「哲学」?

 
大学の哲学が「死んだ」哲学であるという苛立ちは、大学で哲学を学んだ者として理解できる。 しかしシリコンバレーの一種加速主義的ともいえるような急進的思想に基づいて行われる教育ないし「哲学」からは、ITに対して無批判な精神しか生まれないのではないだろうか?
外国語の授業をしないという態度にも同様の問題を感じる。つまりこの学校は「アメリカの」「IT起業家」という「いま・ここ」だけの価値観をインプットする場所なのではないか?そこから羽ばたいていくのが全世界に広がるインターネットビジネスを担うであろう子供達であるにもかかわらず、だ。彼らはシリコンバレーを全ての人類が(彼らの後に)通過すべき人類の最先端であると信じ込んでしまうのではないか?
大学の哲学は現実の問題を扱うには確かに迂遠だが、それは「いま・ここ」から離れて普遍なものを志向することに由来するものでもある。そしてマスクの教育と大学の哲学のどちらが知の順序として先にあるものか、それは考えるまでもなくわかることだろう。