「役者」と「大人」たちのドラマ WBC2023観戦記

 第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック / World Baseball Classic)は、決勝戦でアメリカ代表を降した日本代表が3大会ぶり3回目の優勝を果たした。日本代表の試合をはじめとしてかなりの試合数をテレビで観戦したが、全体を通して、優勝した日本代表、とりわけ大谷翔平という「ユニコーン」を主役としたそのエンターテイメントとしての完成度は、観客に「もう二度と見ることができないかもしれない」と思わせるほどのものだった。展開の劇的なることのみならず、それが世界最高峰の真剣勝負でもあった点、そして登場人物たちの素晴らしさが、このエンターテイメントを白眉たらしめている。

エンターテイメントと真剣勝負

 エンターテイメントと真剣勝負はしばしば矛盾する概念である。
 日本プロ野球において語り継がれているエンターテイメントといえば、オールスターゲームにおける藤川球児の全球直球勝負がまず思い出される。直球勝負が正々堂々としているという見方は、球速表示の大きな数字が人の脳を刺激するためなのかわからないが、ともかく変化球でなくストレート勝負というのが勝負のあり方として好まれるのが日本の野球界である。 
 ただ、これは投手がわざわざ不利な条件を飲んで戦うということであって、エンターテイメントではあっても真剣勝負ではないといえるだろう(なぜか「真っ向勝負」とは言われるが。変化球は知略・謀略の類ということだろうか)。
 逆に極端にエンターテイメント性を欠く真剣勝負の例としては、高校時代の松井秀喜に対する5打席連続敬遠の例を挙げることができる(高校野球に対してエンターテイメント性あるべしと論じるのはやや不適切という向きもあるかもしれないが、やや白々しい言い分だろう。実際には高校野球はすでにかなりの程度エンタメコンテンツである)。前後と比べ明らかに実力の秀でた打者がいればそれを敬遠して次の打者と勝負するという戦略は、勝利に徹する合理的な選択ではあるが、上のような「真っ向勝負」を尊ぶ観客からすれば「卑怯」、そうでなくとも興醒めではある
 かくも「エンターテイメント」と「真剣勝負」は矛盾する概念である。しかしプロ野球に限っていえば、これは徹頭徹尾観客のための興行なのであって、エンターテイメント性を捨てるわけにはいかない。かといってピッチャーに直球ばかり投げさせていればいいかといえばそれもまた違う。藤川の場合、直球の質の異次元であることがファンに知られており、直球だけでも勝てる見込みがあるからこそエンターテイメントとして成立したのであって、並の投手が単に直球を投げ込んで打たれるばかりでは面白くもなんともない(そもそも自軍に意図的に不利益をもたらすようなプレイは「敗退行為」と呼ばれ禁止されている。プロ野球協約177条)。相手も真剣に勝利を求めてくるという仕切りのなかで勝つからこそ応援する張りも生まれるし、喜びも悲しみもまたある。

栗山監督の手腕

 この「ふたつのこと」を、栗山監督はひとつにした。今大会の特に決勝は真剣勝負でありながら最高のエンターテイメントだった。アメリカと日本という世界で最も野球が盛んな二つの国の代表が初めてWBCの優勝を争うというだけでももちろんだが、その試合展開もまた劇的だった。2009年大会の胴上げ投手であるダルビッシュと今のヒーローである大谷翔平に8,9回を任せるというプランは、確かに考えつくだけなら他の凡将にも可能であろう。しかしそれを実際に行うのは並大抵のことではない。ダルビッシュは登板した2試合でともに失点しており明らかに本調子ではなかったし、大谷も調整は十分であったはずがない。8回突入時点でわずか2点差ということを考えれば、たとえば完璧な投球をしていた伊藤に2イニングを任せるとか、あるいは宇多川や湯浅を起用するなどのプランも十分ありえたはずだ。栗山監督はそうはしなかった。それは、彼がこの2人をベストな選択だと考えていたと同時に、このストーリー・このシーンを演出することが、日本代表の勝利よりも大きなものを野球の未来にもたらすと考えたからではないだろうか。彼はこのシーンを振り返って次のように述べている。
夢だったのか、イメージしていたのか自分でも分からない。最後のマウンドで翔平がガッツポーズしているシーンは以前から頭にあった。それが現実になってくれた。でも、実は肝心の最後の姿は見ていない。トラウトが空振り三振したのを確認し「よっしゃー!」って、ベンチでコーチたちと抱き合った。(記事
1点リードの9回。ダブルプレーで2死となり、最後の打者がトラウトとなった時、「あっ、これは勝つんだろうな」と自然に思った。翔平がトラウトを打ち取って世界一が決まる。こんな場面は誰が意図してもつくれない。きっと翔平たちが苦しみ、頑張ってきたことを野球の神様が認めてくれたからなんだろう。(同上)
 世界最高の真剣勝負と世界最高のエンターテイメントが奇跡的に交差したその点で、彼は奇跡的に采配を振るう立場にあった。誰もが見たいと望んだその光景を歴史に残すことで、彼は野球の未来に対する責任を果たしたのだ。
 もちろんそれは大谷翔平という世界最高の役者あってのことだが、その役者のキャリアの重要な初期を導いたのもまた栗山監督の情熱だった。優勝会見で彼は自身の寄与について、長い日本野球の歴史の中で自分の参与した時間はわずかなものに過ぎないと謙遜したが(優勝会見)、彼が選手の招集のために尽力したのもまたよく知られるところである。兵站・用兵・演出のすべてにおいて真摯さと、そして勇気を見せた。稀代の名将と言うべきである。

「役者」たちの言葉

 野球がエンターテイメントであるなら、それは観衆に爽快感を残して終わらなければならない。当の選手たち、とくにメジャーリーガーたちはエンターテイメントとしての野球の、社会における位置というものに非常に自覚的であるように思える。優勝会見においてダルビッシュ有は以下のように語っている。
優勝どうとかというより、みんなが明るく笑顔で野球をプレイしてほしいと最年長としてはずっと思っていた。それだけを大事にしてきた(優勝会見51:00〜)
とにかく楽しく野球をしているところを、ファンの方々に見てもらうことがすごく大事だと思っていたので、それプラス結果がついてきて本当によかったと思います。
 近年スポーツ番組で聞かれる「感動を与えたい」のような言い回しは、私は好かない。感動というのは受け取る側の問題であって、何か「感動」なるものの実体があってそれを誰かに作ってもらうようなものではないし、「感動してもらいたい」ならまだしも「感動を与えたい」などと口にするのは傲慢であるとさえ思う。日本においては報道がイベントのたびあたかもスポーツ選手が世界の中心にいて、スポーツがすべてを救うかのような空気を作ってしまうことにも問題があると思うのだが、その点今回のWBC代表とりわけメジャーリーグの選手たちは、勝ってなおその矩を越えない謙虚さを見せてくれた。そのことにもまた胸がすく思いがする。
 惜しくも敗れた者たちの振る舞いもまた印象を残した。たとえば準決勝で日本代表との劇的サヨナラゲームを演じたメキシコ代表のギル監督の試合後インタビュー。
今夜勝ち進んだのは日本だが、これは野球界の勝利だ(Japan advances, but the world of baseball won tonight.)
 準決勝はどちらが勝ってもおかしくない大会史上屈指の好ゲームだった。特に日本代表に肩入れする立場としては不振に喘いだ三冠王・村上が起死回生のサヨナラタイムリーでチームを救うというストーリーを想起するゲームだが、メキシコ代表としても1次ラウンドでアメリカを破っての初のベスト4進出であり、その勢いを駆っての決勝進出をあと1イニングで逃すという、悔しいゲームであった。その夜に野球の未来を見据えたコメントを残せる。記者たちは会見後、この「役者」を異例の拍手で見送ったという。
 決勝戦もまた歴史的好ゲームであったが、ハイライトは文字通り最後の最後に待っていた。3度のシーズンMVPマイク・トラウトと二刀流・大谷翔平。チームメイトでもあるこのスター2人のマッチアップがWBC決勝、それも1点差の9回2死に巡ってくるというのは、奇縁というほかない。惜しくも三振に倒れた試合後のトラウトのコメントもまた素晴らしい。
「全ての野球ファンが見るのを望んでいた対戦。この1カ月半で何度もそれについての質問をされてきた。他の終わり方があったと思うかい?」(原文)
さらに
第一ラウンドは彼の勝ちだ。
 と、3年後の再戦をファンに期待させることも忘れなかった。一流の選手・スタッフは一流の役者でもある。彼らはWBCという物語、そしてそれを含みこむ野球という大長編の役者としての自覚のもと振る舞う。そのことが、我々をこのドラマの深みへと誘うのだ。

未来のために、子供たちのために

 彼らは役者であると同時に「大人」でもあった。大人とは未来、それを担う子供たちへの責任を知る者のことだ。上の世代から受けたものを下の世代へ返す者。
 「今回の活躍がこれから野球で世界を目指そうとしている子供たちに大きな影響を与えたと思うが」と尋ねられた吉田正尚は
僕自身もたくさんの先輩方から勇気や感動をもらった。皆さんにどう伝わったかわからないが、そういう子供たちが増えて、こういう舞台に立ってもらえたらうれしい(優勝会見52:30〜)
と話した。大人の責任感に満ちた言葉である。大谷、栗山も同様の発言を残している。
「僕がどうのこうのではなく、第一回大会からいろんな先輩たちが素晴らしいゲームをしてもらってそれを実際に僕らが見てきて、ここでやりたいなという気持ちにさせてもらったのがまず一番大きいことじゃないかと思いますし、今回こうやって優勝させてもらって、そういう子達がまた増えてきてくれたら、本当に素晴らしいことだなと思います」(インタビュー)
 物語の主役は、「世界一になってこれから日本の野球がますます注目されていくことになると思う。この先に向けてどんな思いか?」という質問に対し、次のように答えた。
日本だけじゃなく、韓国も台湾も中国も、その他の国ももっともっと野球が大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できてよかったし、そうなってくれることを願っています
 国別対抗戦という形式は、とかくナショナリズムと結びつきやすい。とりわけ日韓戦などは、野球しかりサッカーしかりその傾向があらわになりやすいイベントであり、ただでさえ人々を攻撃的にするインターネットは、その機に乗じて差別的言辞を弄する者たちに場を提供してきた。しかし大谷のこの言葉はこうした敵愾心とは全く無縁の、実に清々しいものだ。野球の楽しさを世界中の人々に知ってもらいたい、その気持ちに満ちている。アメリカ代表監督マーク・デローサの言葉を借りれば、彼はそれを象徴する唯一の存在、「ユニコーン」、唯一無二の存在なのだ。そんな彼が日本人であることよりも、日本を超えた世界に対して責任を果たそうとする者であること、それを改めて見たことに、私は喜びを感じる。
 今大会の主役は間違いなく全勝で完全優勝を果たした日本代表であり、大谷翔平であったと書いた。そのことに間違いはない。「日本野球のレベルの高さを世界に示した」というお決まりのフレーズも、もちろんその通りだろう。だが私が今大会を史上最高の大会であったと感じるのは、世界最高の役者たちが演じた、その半ばフィクションじみたともいうべき劇的な展開を目の当たりにしたためのみではない。大会後に垣間見えた「大人」たちの姿こそ、この大会を真に素晴らしい、将来に受け継いでいくに値するものにしている。